こんばんはお久しぶりです(●´ω`●)
更新とどこうっていて心苦しいのですが、還暦まじかなのにのに仕事量は
変わらず、大きな鉄板と悪戦苦闘の毎日です〜〜。
所で表題に有る通りユーチューブの投稿に私のF–1の記事が抜粋されて使われていて
嬉しい限りでした。
私のブログでも誤解多き国産戦闘機F-1は毎日トップ記事で見て頂いています。
このブログ始めた頃の初期の記事なのにこんなに見て頂きありがとうございます。
私も含めF−1好きの方が数多くいらっしゃるのですね。
さてF−1考えてみると戦後3機目のジェット機ですよね。
T–1をF86FやT33Aをライセンス生産しながら開発し
次が何と超音速機Tー2共に練習機としては当時最良の性能を誇る機体です。
考えてください、空白の7年が有っても、戦後最初に後退翼機を設計、開発生産。
T–1はエンジンも同時開発Jー3を後期型から搭載しました。
他にこんな国は有りますか?
そして次が超音速機T–2、超音速機マッハ1・6クラスですよ。
それも開発は順調な部類です。
T–2はこのクラスの練習機としては傑作と言って良いと思います。
その兵装強化版がFー1戦後3機目にして攻撃機を実用化って
凄い事だと思います。
航空技術を7年間封印されても脈々と戦前からの技術は廃れては無くて
水面下で温存されていたんですね。
もちろんそうでなければ86や33を満足にライセンス生産さえ
出来はしなかったでしょう。
アンリファルマン等が輸入され日本の空を飛んで始まった日本の
航空技術の歩み途切れずにF–3に続くのでしょう